名古屋の生まれで、実家はじいさんの代からの大工です。建築学科に通った大学時代は、ポストモダンが華やかなりし頃。ぼくも安藤忠夫、毛綱毅剛、原広司なんかが大好きな「建築少年」でした。コンクリートの分かりやすい造形美に憧れていて、木造といっても関心の対象は数寄屋や寺社。住宅にはあまり興味はありませんでしたね。ただ、夜間部だったので、昼間は親父の仕事を手伝ってはいました。
卒業する頃には建築にもちょっと飽きていて、なんとなく大工しながら、高山建築学校(*1)のサマースクールに行ってみたり、「日本建築セミナー」という勉強会で月一回東京に出たり、建築とは縁の切れない生活をしていました。
*1
高山建築学校
1972年に故・倉田康男(法政大学工学部建築学科講師)が開設した私設の建築学校。飛騨高山の隔絶された場所で夏の限られた期間を、課題、講義、セルフビルドに費やす。今でも活動は継続している。
大工中村武司、36歳、独身です!
転機になったのは、「木の住まい」というミニコミ誌との出会いです。これは自分の木の家づくりの体験を「楽しんで作った心にかなう住まい」(彰国社刊)という一冊の本にまとめられた仙台の林孝さんが、その本だけでは飽きたらず、いろいろな人の木の家づくり、大工の話などを集めた雑誌を発刊したもの。名古屋近辺の「木の住まい」読者の集まりがあるというので誘われて、でかけたのです。
集まりに来ていた林さんが、伊那の富澤博之さん、長崎の池上算則さんといった大工たちとぼくとをつないでくれました。「本当は伝統工法をやってみたいんだけれど、普段はバンバン叩けばできてしまうような仕事ばっかりで・・・」なんていう話から「木の住まい」主催の「建前学校」が開かれることに。林さんのマメさのおかげで、若い大工が各地での「建前学校」にでかけるようになったのです。それがぼくにとって、同じ思いをもった大工同士が集まって話をする、という初めての機会でした。
建前学校に集まった大工たち
(97年12月/伊那)
建前学校とは、伝統的な継手・仕口で刻んだ構造材を実際に現場で組む「建前」を手伝うことで、木組みを学ぶには最適の実践の場です。自分の仕事の範囲だけではなかなか積めない経験を重ねられたこと、そしてそこで全国の若い大工同士のネットワークができたことがとてもありがたかったです。94年群馬県の「安中の家」を皮切りに、埼玉、福島、東京、長野とあちこちに出かけていき、金物に頼らない伝統的な木組みの技術をだんだん覚えていくということを続けました。最近では、長崎、広島とエリアは広がっています。そこで出会った大工仲間と「棟梁に学ぶ家」のある三宅島へのツアーを企画したり、建前や古民家の解体などの場面でわっと集まって仕事するというような協力関係も生まれました。
「面白い仕事があるなら、遠くても駈けつけたい!」そんな職人集団は、昔から徒弟制度が強かった大工の世界にもなかったし、まして、効率第一の今の時代にはめずらしいですよね。でも、いるんですよ。そんな仲間が!
左/ 金輪継ぎで梁をつなぐ(98年7月/杉並)
右/ 掛矢で梁を叩いて渡り腮(あご)を収める(95年12月/上尾)
※このページの白黒写真は3点ともミニコミ誌『木の住まい』より
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