topページへ つくり手インタビュー
   
渡邊隆さんに聞く
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町並み調査や文化財修復から木の世界に入り、「民家型構法」に行き着きました

高麗神社の実測図面
  高麗神社の実測図面
詳しくは雑誌「ディテール」で
 



学生時代は、伝統的町並みの調査をしていました
学生時代は、建築史のゼミの学生たちで、木曽路の奈良井町という伝統的町並みを4年間、調査しました。町の人たちには、ほんとに世話になりましたよ。ちょうど高度経済成長で、どんどん古い建物が壊されていく一方で、保存論議も盛んになっていた頃です。同じ木曽路では、妻籠が古い町並みをそのまま保存し、観光に結びつけて成功していましたが、あれはなんだか映画のセットみたいでね。なんか違うな、と思ってね。で、奈良井では「生活する場として、伝統的町並みの保存を考える」ということをテーマに、住民の意識調査をしました。


民家の修復で、木の仕事をおぼえました
田中文男氏の親方の孫で岩瀬さんが大学の先輩だった関係で、真木建設に学生アルバイトで行くようになり、民家の実測などをしていたら、卒業後そのまま入社することに。はじめての仕事は、埼玉県日高市にある重要文化財、高麗神社の神官の家の修復でした。ひとつひとつの柱を実測して、どう組んでいるか調べることから仕事がはじまるのですから、学校では習わなかった木の仕事を勉強させてもらったようなものです。こんどその時に調査した図面が、こんどディテ−ルの冬号にでます。その後の仕事のほとんどが、国や自治体の文化財になっている寺社や民家の修復という幸せな時代でしたから、その中で木の仕事のおもしろさは自然と身についていったんですね。恵まれていましたよ。


田中文男氏にはずいぶんと怒鳴られましたが、すごい人でしたね
当時の真木建設の社長だった田中文男氏はすぐれた棟梁であるだけでなく、研究者であり、プロデューサーでもあります。ものを見る目もすぐれているし、経験の引き出しもたくさんもっている。建物を見ただけで、そこにどんな道具を使っていたかまで分かってしまう嗅覚と、建築を理論的にとらえる頭脳、行政とわたりあう力量とが、たった一人の人間の中に全部ある、というのがすごいですよね。なかなかいないですよ。でも、厳しい人でね。教えたことは100%できないとダメ、という人だから、なかなかついていくのがたいへんですよ。毎日怒鳴られながらたくさんのことを学びました。特に教えられたのは「スジを通すこと」、そして「バランス感覚」ということですね。
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木の家は、大工手間がきちんと出るようにコーディネートするのが、むずかしい
私が木でつくる新築の住宅に意識的に関わりはじめたのは、建設省が主催した「家づくり85」というコンペからです。田中文男氏がアドバイザーになり、現代計画にいた三澤文子さん、宮越喜彦さんたちといっしょになって、民家型構法の木の家づくりに取り組みました。1985年に建った「国産材の家」という林野庁のモデル住宅にそれが集約されています。その頃に考えたことが今の仕事にもつながっています。考えはよかったんだけれど、残念ながら行政がリードする木の家づくりは長続きしませんでしたね。木の仕事は手間がかかるのに、予算の関係でその部分のお金がなかなか出ない。で、大工にすれば「いい仕事だけれど、毎回はきついな」となってしまうんです。そのへんのコーディネートがむずかしんですよね。
       
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