市民の知恵と行動力による保存と活用へ 行政は関善酒店の保存を行政の事業としては受け入れなかったが、有志の会は「志をある人たちの協力を得ながら、保存第一に活動」という考えで一致。関家は県と移転保証契約を締結、建物を県道にかからないよう下げることを約束した。 それからの有志の会の活動がめざましかった。150人は入れる関善酒店の建物で、精力的にイベントを打ったのだ。皮切りは、2003年6月、いろりの残る関善の座敷での「昔っこ聞く会」。参加者は昔話を聴きながら、旧家のただずまいを満喫。続いて、8月には津軽三味線の会、9月には大正琴の会。定期市での買い物帰りの人もつめかけ、コミセにまで人があふれた。11月には「じょい」(=常居)とよばれる居間でのフリマも開かれた。一方、機会をとらえては地元や遠方からの団体向けに建物見学会を繰り返し開き、関善酒店保存の建築的意義を実感する人の裾野を全国に広げていった。 関善の建物に入ると、巨大な吹き抜けの土間になっている。頭上は、縦横に組まれた梁が何重にも積層する豪壮な小屋組空間。イベントや見学会に関わった人が皆「関善ファン」になっていった。2003年暮れには、土間で餅つき。親子連れで賑わい、関善にとっては久しぶりの、活気ある年越しとなった。 年明けの2004年2月。ある計画が公表された。関家が曳家費用を負担し、「NPO関善賑わい屋敷」が曳家終了後の主屋とコミセを関家から買い上げ、改修、活用していく、というのだ。NPOが負担する取得費の1000万、改修費の1000万について募金が呼びかけられ、いよいよ4月には、曳家に先立つ工事が始まった。 そして8月。改修工事も終わり、関善酒店は、関家からNPO関善賑わい屋敷の手へと移った。「古きよきものを残し、活用を」と願った有志市民、「建物が貴重だから残すのではない。町の賑わいを取り戻すために役立てたい」という関家、双方の思いが実った。今後、鹿角にあって市民が主役のまちづくりの中核を担っていくことが期待される。十和田湖方面へ行かれる折には、ぜひ立ち寄ってほしい。
道をはさんで、関善酒店の向かい側では、今でも毎月3と8
のつく日に市が立つ。