私たちの2回の調査は11月半ばと12月初旬、雪が降り始める直前に行ったものです。私たちが帰ると、すぐに雪の季節。年を越して元旦には、集落の中心にある諏訪神社の樹齢400年の大杉が、初詣に訪れる地元の人たちの目の前で倒れてしまいました。伐るか、補強するか。いずれかの手だてが必要であると認識されてはいたのですが、その対策をする前に倒れてしまったのです。この里のご神木でもあり、地元の方のショックはいかばかりか、はかりしれません。今回の地震は別の言い方をすれば、400年に一度という規模の地震だったのです。
「古い道理」には、人知を越えた天災が起きたらこう逃げる、という大工の知恵がはたらいているように思えます。コマ石が飛ぶ、土壁が落ちる、建具がはずれる・・何段階にも地震の力に「負ける」部分をつくっておいて、最終的な架構を守る。あるいは、架構が限界まで傾いて倒壊するとしても、それまでの時間をかせぐ。補強することで固く抵抗できる限界値を高めようとする「新しい道理」とは、発想がまったく別のように思えます。「古い道理」は「自然とは人知を越えたものであって、抗い難い」という前提から、「新しい道理」は「自然は人間が克服するもの」という前提からしぜんと生まれてきたように思うのです。
そして、そこにどういう自然があるかということは地域それぞれに違います。半蔵金のような豪雪・地滑り地帯とほかの地域では、なににどう備えるかという構えはちがってくるでしょう。建築基準法では人が幸せに暮らして行ける建物の最低条件として全国一律の「新しい道理」をもうけました。ほんとうは地域それぞれの道理があったはずなのに、です。半蔵金で見てきたた「古い道理」と「新しい道理」とがうまくかみあっていない状況も、「新しい道理」が地域の道理を吸い上げることなしにつくられたことの無理としてあらわれているのかもしれません。
建築基準法における伝統構法の見直しが進められています。それと同時に耐震性能の向上についてもさまざまな試みもなされています。その際に、「古い道理」はダメと片付けてしまうのでなく、その地域に伝わる技術を拾いおこし、そのすぐれた合理性を発見することも大事なのではないでしょうか。第一回目の相談会で新潟県建築士会の人たちと一緒に廻ったのですが、その時に「どうしてこんなに壁が少ないのに地震に持ったんだろう」と言う声が士会の若い人から聞かれました。また、激震のあと、またもとに戻る、ということが不思議に映るようでもありました。現在の建築教育では「新しい道理」しか教わることがありませんからね。今回このようなことを目にしたことが「古い道理」があるんだ、ということに気づくきっかけになるかもしれません。
環境、人心、国際平和など、さまざまな面でのひずみが噴出している今の世の中では、がむしゃらな経済発展や科学信仰への疑問、環境との対立よりは共存を願う気持ちが人々の中に生まれて来ています。「新しい道理」を支える価値観そのものを見直す時期にさしかかっているのかもしれません。「古い道理」が無条件によいというのではありません。「古い道理」「新しい道理」それぞれの本質をよく見つめ、未来につなげていくことのできる道理を探し続けていきたいと願っています。
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